火垂るの墓のあらすじネタバレと感想!節子と清太はどうなる?

火垂るの墓は小説家のみならず放送作家・作詞家・マルチタレントとして活躍していた野坂昭如(1930-2015)が、自らの戦争体験を元に書き下ろした渾身の短編小説にして直木賞受賞作の。

今回は、過去にテレビドラマ化・実写映画化された本作の映像化作品の中でも不朽の名作と名高い高畑勲監督(1935-2018)・スタジオジブリ製作の長編アニメーション作品『火垂るの墓』についてのあらすじとネタバレ、感想をご紹介します。

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『火垂るの墓』の作品情報

タイトル:火垂るの墓
監督・脚本:高畑勲
原作:野坂昭如
製作:佐藤亮一、原徹
公開:1988年4月16日(日本)
声の出演:辰巳努、白石綾乃、志乃原良子、山口朱美、端田宏三、酒井雅代、野崎佳積、松岡与志雄、金竹雅浩、柳川清、真木一 など

原作は数多くの小説・エッセイを世に残した野坂昭如、監督・脚本は日本を代表するアニメーターのひとりであり『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』『かぐや姫の物語』などの代表作をもつ巨匠・高畑勲。
音楽は高畑作品では『太陽の王子 ホルスの大冒険』『セロ弾きのゴーシュ』に参加している間宮芳生が担当しています。また、原画には後に『エヴァンゲリオン』『シン・ゴジラ』などを手掛ける若き日の庵野秀明も参加しています。

『火垂るの墓』のキャスト

主人公・清太役の辰巳努は当時16歳、もうひとりの主人公・節子役の白石綾乃は当時5歳11ヶ月で大役に挑んでいます。本作には辰巳・白石の両氏のほかにも高畑監督の希望で物語の舞台である関西出身者が数多く出演しており、本職が声優の人はほとんど起用されておりません。

『火垂るの墓』のあらすじ・ネタバレ

1945年9月21日夜

「昭和20年(1945年)9月21日夜、僕は死んだ」
物語は主人公・清太(辰巳努)のナレーションから始まる。

この日、清太は神戸・三ノ宮駅の構内で柱に衰弱しきった状態で寄りかかっていた。
目は虚ろで、骨と皮だけの体にボロボロの服をまとい、顔にはハエがたかっていたのだ。

行き交う人々はみすぼらしい身なりの清太を避けて通ったが、中にはおむすびを恵んでくれた人もいた。
完全に生きる気力を失った清太は一言「節子・・・」と呟いて息を引き取ったのである。

駅構内には他にも清太のように行く宛もなく力尽きた人々の躯が転がっており、清太の死を確認した駅員は「またか」と呟いた。
駅員は清太が持っていた「サクマ式ドロップス」の缶を拾い上げると、駅の外に投げ捨てたのだった。

缶からは人骨の欠片がこぼれ、周囲を無数のホタルが飛び交うなか清太の妹・節子(白石綾乃)の幽霊が現れた。
節子は同じく幽霊となった清太と共に夜の阪急電車に乗り、二人でドロップを食べながら神戸の街並みを見つめていた・・・。

神戸大空襲

約3ヶ月前の昭和20年6月5日。
神戸は米軍の大空襲にさらされようとしていた。

当時14歳の清太と当時4歳の節子は空襲警報を受け、母(志乃原良子)と共に防空壕に逃げる準備をしていた。
清太は庭に穴を掘って米や食料などを入れた大きな甕(かめ)を隠し、節子は母に防空頭巾を被せてもらったのだ。

心臓の悪い母を先に避難させ、清太が節子を背負って防空壕へ行こうとしたその時、自宅を米軍の焼夷弾が直撃したのである。
自宅は火の海に包まれ、逃げ惑う人々の波を掻い潜って何とか防空壕に辿り着いたのだった。

焼け野原と化した神戸の街では、一人の男が「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。

母との別れ

清太と節子は少し休んでから母と落ち合う予定の二本松に向かうことにした。
清太は靴が破けた節子のために新しい靴を買ってあげると約束したのだ。

節子は「うちも金持ってるねん」と財布からおもちゃの金を取り出し、清太は節子の健気さに思わず笑みがこぼれたのである。
ところが、節子を連れて高台に上った清太は跡形もなく焼け落ちた街並みに衝撃を受けたのだった。

生家は全焼してしまっており、付近には唯一焼け残った公会堂があるのみであった。

清太と節子は母が避難しているはずの国民学校へ向かった。
清太は知人の女性から早く母に会ってあげてほしいと告げられ、節子を女性に預けて母の所に急いだのだ。

母は大火傷を負い、全身を包帯で巻かれた状態で昏睡状態に陥っていた。

清太は節子の財布に母の大事にしていた指輪を入れると、母は西宮の回生病院に行ったと嘘をつき、これから西宮に住む親戚を頼ることを告げたのである。

清太は「お母ちゃんの所に行きたい」と泣き出した節子を少しでも元気づけようと近くの鉄棒で必死に回り始めたのだった。

間もなく母は息を引き取った。
亡骸には蛆虫が湧いており、一足先に節子を親戚に預けた清太は他の人たちと共に火葬にされた母の遺骨を抱いて西宮に向かったのだ。

初めて見るホタル

西宮の叔母(山口朱美)の家に辿り着いた清太は母の遺骨を庭の茂みに隠し、節子には引き続き母は病院にいると嘘をついた。
寝床を与えられた清太は、節子に母の指輪を大事に持っているよう告げ、母の見舞いに行こうと約束すると、節子が寝静まった頃合いを見計らって母の遺骨を家の中に運び入れたのである。

清太は一人で神戸の自宅の跡に戻り、甕の中から食糧などを回収してリヤカーに乗せた。
清太はその中からドロップの缶を見つけ、ポケットにしまったのだった。

清太は破裂した水道管の水で顔を洗い、壺の中の梅干しを食べて西宮に戻ったのだ。

食糧を叔母に預けた清太は母の死を伝え、節子には知られたくなかったと釈明したのである。
節子は叔母の娘から下駄を買ってもらい大喜びしたのだった。

近くの家で久々の風呂に入れてもらった清太と節子は、帰り道の田んぼで食用カエルの鳴き声を聞いていると、一帯をホタルが淡い光を放ちながら飛び交い始めたのだ。
節子は清太にホタルを捕まえてもらい、初めてみるホタルに心を奪われたのである。

清太は節子と共にホタルが沢山いる池に行くと、節子に缶のドロップを食べさせたのだった。

海でのささやかなひと時

清太は叔母から勉強はどうなっているのか問われると、清太は学校も焼けてしまったので行っても意味はないと答えた。
清太は海軍のお偉い軍人である父に手紙を書いたのだが、10日経っても一向に返信は来なかったのだった。

清太と節子は叔母一家や下宿人の青年らと共に食卓を囲んでいると空襲警報が鳴り、節子は防空壕で清太にもうここには居たくないと本音をこぼしたのだ。

叔母の家は幸いにも無事だった。
清太は節子を海に連れて行き、節子の背中の汗疹を海水で拭いてあげたのである。

清太と節子は束の間の幸せなひと時を過ごした。
しかし、節子は浜辺でカニを追っているうち、覆いをかけられてハエがたかっている人の死体を見つけたのだった。

節子を死体から遠ざけた清太の脳裏には、在りし日の母と一緒にこの海で遊んだ記憶が蘇っていたのであった。

空襲警報が鳴ったため、清太は節子を連れて海から退避したのだ。

叔母との対立

ある日、叔母は清太たちの母の形見の着物を物々交換に出そうと持ち掛けた。
叔母は清太に栄養のあるものを食べさせ、いつかは兵隊に行ってもらわねばと語ったが、節子は嫌だと猛反対したのである。

着物は白米と交換され、不貞腐れていた節子も久々の美味しいご飯を食べると満面の笑みを浮かべたのだった。

しかし、やがて清太と節子には雑炊しか与えられなくなり、白米は叔母の娘と勤労奉仕に参加する下宿人にしか与えられなくなったのだ。
叔母は、お国のために働く娘たちと学校にも行かず家で寝転がるだけの清太たちとは立場が違うと言い出したのである。

節子はこの米は母の着物で得た米だと呟くと、叔母はせっかく二人を預かっているのにその態度はないだろうと冷淡な言葉を投げかけたのだった。

清太たちは叔母の提案で食事を別々にすることになり、東京の親戚を頼ってはどうかと勧められたが、親戚の住所はわからないためどうしようもなかったのだ。

清太は母が銀行に7,000円を預けていることを知り、これで当分の間は心配いらないと節子を励ましたのである。
清太は父に節子が待っていると手紙を書き、下ろした金で七輪などの自炊道具やボロい傘を買ったのだった。

清太は叔母から当てつけだと陰口を叩かれながらも節子と二人きりの食事を楽しんでいたが、やがて米などの配給は滞るようになり、節子の数少ない愉しみである缶のドロップも残り少なくなっていったのだ。

清太は最後のドロップに水を加えて砂糖水を作り、節子に飲ませた。

叔母は食器の片づけよりも節子の世話を優先する清太を「勝手なことばかりして」となじり、お国のために働く家族や下宿人と比較して清太に辛く当たったのである。

清太は母を想って夜泣きする節子をホタルが舞う田んぼへ背負って行ったが、またしても空襲警報が鳴り響いたのだった。

清太は叔母から隣組の防火活動に参加するよう命じられたが、それよりも節子の世話の方が大事であった。
節子はもう叔母の家には居たくないと愚痴ったが、家を失った清太はどうしようもなかったのだ。

ある日、清太は叔母の家のオルガンで節子に歌を教えていたところ、叔母から「止めなさい! 戦時中に非常識な。とんだ疫病神を連れてきたもんだわ」と叱られてしまった。
「そんなに命が惜しかったら横穴にでも住んどったらええのに」と叔母に言われた清太は、周囲に民家のない静かな池の近くの防空壕を住処にする決意をしたのである。

防空壕暮らし

叔母の家を出た清太と節子は防空壕で二人だけの生活を始めた。

生活用品は焼け跡の瓦礫の中から拾い、叔母の家から布団や蚊帳を拝借し、清太は母の遺骨を節子の目の届かない場所に隠したのだった。
清太はリヤカーを貸してくれた農家から藁と野菜を買い、わずかばかりの米と池で捕まえたタニシ、消火用の貯水槽から汲んだ水で雑炊を作ったのだ。

夜、清太が池で食器を洗っていると節子が一緒に用を足したいと言い出し、茂みに行くと上空には特攻に向かう飛行機が飛んでいたのである。

清太はホタルを沢山捕まえて照明代わりにし、かつて自分が父と共に観艦式に行った時の思い出話を節子に語って聞かせたのだった。

ライトアップされた軍艦、夜空を彩る花火、日の丸の小旗を振って声援を送る人々の群れ、楽団の演奏・・・。

清太は節子に軍歌を歌って聞かせたが、父は今どこにいるのかと思うと切ない気持ちになったのだ。
節子は既に眠りについていた。

火垂るの墓

翌朝、清太が水を汲んで戻ると、節子は地面を一生懸命掘っていたのである。
清太が昨晩捕まえたホタルは1匹残らず死んでおり、節子は“火垂るの墓”を作ろうとしているのだった。

節子は「お母ちゃんもお墓に入ってるんやろ?」と清太に言うと、ホタルの死骸を穴に埋葬し始めたのだ。

節子は叔母から母の死を聞いたというと、清太の目からはとめどなく涙が溢れたのである。
清太は節子に母の墓参りをしようと言うと、節子は「ホタルはなんですぐ死んでしまうんねん?」と問いかけたのだった。

ある日、近所の子供たちが清太たちの暮らす防空壕にやってきて、誰か浮浪者でもいるのかと思いながら清太が節子のために作ってあげたブランコで遊び、“火垂るの墓”に備えられた土の団子を崩し、カエルの干物やタニシの貝殻で遊び始めたのだ。

生き延びるために

清太は節子を連れて農家に作物を分けてもらえるよう頼んだが、もはや農家にも蓄えがなく、清太は叔母と和解して家においてもらってはどうかと勧められたのである。

その帰り道、清太と節子は米軍機の射撃に遭い、咄嗟に逃げ込んだ畑のトマトに手を出したのだった。

清太は畑からトマトやじゃがいもを盗み、川で釣った魚を焼きながら節子の髪を梳いてあげていたところ、節子はお腹に不調をきたしていることを明かしたのだ。
節子の背中の発疹は一層悪化していったのである。

そんなある夜、清太は畑からサツマイモを盗もうとしていたところを農家に見つかってしまい、町の交番に突き出されたのだった。
清太は農家から殴る蹴るの激しい暴行を受けており、見かねた警察官の計らいで無罪放免となった。

節子は交番まで清太を追いかけていたのである。
清太の腫れ上がった顔を見た節子は「兄ちゃん、どこ痛いの? 早よお医者さんに診てもらわにゃ」と言葉をかけ、清太は思わず大粒の涙をこぼしながら節子を抱きしめたのだった。

それからというもの、節子は日に日に衰弱していった。
戦局は悪化の一途を辿り、西宮の街にも米軍は容赦なく爆撃の雨を降らしていったのだ。

清太は人々が防空壕に避難した隙を狙って近くの民家に上がり込み、米などの食糧を盗んでは節子に食べさせたのである。

ある夜、清太は空襲の最中に民家から着物を盗み出し、翌日に母の形見と偽って食糧との物々交換に出そうとしたが安物という理由で断られてしまった。
清太は肩を落としながら防空壕に戻ると、近くの草原で節子は朦朧とした状態で倒れていたのだった。

終戦

清太は節子を医者に診せたが、もはや体は骨と皮だけになり、何日も下痢が止まらず、湿疹は更に悪化していたのだ。
医者は栄養失調からくる衰弱だと診断、清太は薬や治療が欲しいと頼んでも医者は滋養のあるものを食べさせるしかないと言うのみであった。
清太は思わず「滋養ってなんですか!」と医者に怒鳴った。

蝉が鳴く炎天下のなか、清太は氷売りが切った氷の切りカスを節子に食べさせ、母の貯金を全て下ろして何か美味しいものを食べさせてやると約束したが、節子は清太に「どこにも行かんといて・・・」とせがんだのである。
清太はずっと節子のそばにいると約束したのだった。

銀行に行った清太は残る貯金3,000円を全額下ろしたのだが、他の客の会話の内容から日本はアメリカに敗れて無条件降伏したことを知ったのだ。
清太は他の客に父のいる連合艦隊はどうなったのか尋ねてみると、艦隊はとうの昔に全滅してしまったというのである。

父が既に死んでいたことに清太は深く打ちのめされ、父の写真を握りしめて焼け野原を走り去ったのだった。
上空には日本を占領した米軍機が偵察飛行をしていたのだ。

節子死す

清太が防空壕に戻ると、節子は既に意識朦朧となっており、おはじきとドロップの区別がつかないほどに衰弱しきっていたのである。
清太は節子の健気な姿に涙ぐみ、母の貯金で買ったスイカを節子に食べさせたのだった。

節子は「美味しい・・・兄ちゃん、おおきに」と力なく呟いた。
節子はそれっきり、二度と目を覚ますことはなかったのだ。

台風の夜、節子は清太の腕の中で静かに息を引き取ったのである。

台風が過ぎ、清太は残った金で棺とマッチと炭を買いに行った。
空は晴れ、若い女性は洋服を着て蓄音機を鳴らし、アメリカの占領下とはいえようやく訪れた平和を享受していたのだった。

清太、死地へ

誰もいなくなった防空壕には、ただ清太と節子が生きてきた証だけが残されたのだ。

清太は誰もいない小高い山で、棺に節子の亡骸と大事にしていた人形や財布、防空頭巾を入れ、静かに彼女を荼毘に付したのである。
夜になり、空には節子の死を悼むかのように沢山のホタルが飛び交っていたのだった。

翌朝、清太は節子の遺骨をドロップの缶に入れて山を下り、二度と防空壕に戻ることなく死地に向かったのであった。

そして時は流れ、バブル経済絶頂期の1988年。

清太と節子の幽霊は成仏することなくあの山に留まり続け、まるで戦争を完全に忘れ去ったかのように高層ビルが無数に立ち並ぶ神戸の街並みを無数のホタルと共に見つめていたのである。

『火垂るの墓』の感想とまとめ

本作は宮崎駿監督の『となりのトトロ』と同時上映されましたが、『トトロ』の明瞭さとは打って変わっての暗く重苦しい内容には当時の観客はついていけず、興行収入も伸び悩んだという経緯があります。しかし、本作は批評家からの称賛やテレビ放送を通じて世間一般にも高く評価されることとなり、今では戦争をテーマにした作品の中でも不朽の名作として語り継がれています。

原作者・野坂昭如は自らの戦争での実体験を元にフィクションも交えて原作小説を書き上げ、直木賞を受賞するなど高く評価されました。
主人公・清太は作者自身、清太の妹・節子は作者の実際に衰弱死した妹をモデルにしています。ただし、作者は戦時中は福井県に疎開しており、本作のような酷い扱いを受けたことはなかったそうです。

高畑勲監督は徹底的にリアリズムにこだわり、舞台となった当時の神戸・西宮の街並みや米軍の爆撃機などが忠実に再現されています。
劇中冒頭に登場した三ノ宮駅の駅ビルは1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けて取り壊されたのですが、清太たちの実家近くの公会堂は今でも現存している神戸市立御影公会堂(国の登録有形文化財)であり、近くには「火垂るの墓」の石碑が立っています。
清太たちが避難した国民学校は野坂昭如の出身校である神戸市立成徳小学校の旧校舎をモデルとしており、清太兄妹が暮らしていた防空壕の近くの池は兵庫県西宮市に実在する「ニテコ池」をモデルにしたものとされています。ただし、作中の田園風景も現在ではすっかり宅地化しています。

高畑監督は本作を単なる反戦映画ではなく、あくまでも戦時中の極限の最中を懸命に生き抜いた戦争孤児の悲劇を描いたとしながらも、戦時中に日本を支配していた「全体主義」には真っ向から反対する意見を述べていました。本作は神戸・西宮を舞台とすることから出演者の殆どで関西出身者が起用され、共に関西出身である主演コンビ以外では兄妹の母役で『水戸黄門』『大岡越前』『遠山の金さん』など時代劇作品に数多く出演している志乃原良子(大阪府出身)、兄妹の叔母約で『銭形平次』『必殺シリーズ』などの時代劇のかたわら高畑監督作の『じゃりン子チエ』にも声優として参加している山口朱美(大阪府出身)が出演しています。

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