映画『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』あらすじ・ネタバレ!フル動画の無料視聴方法も紹介

圧倒的な歌唱力で世界の頂点に立ったホイットニー・ヒューストン。次々に大ヒットを飛ばし、売り上げたアルバムは実に2億枚以上です。2012年3月に滞在していたロサンゼルスのホテルで急死した彼女のニュースは世界を激震。ホイットニーの冥福を祈る投稿がSNSに殺到しました。ドキュメンタリーでアカデミー賞を受賞しているケヴィン・マクドナルドがホイットニーのノンフィクション映画を監督。

『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』作品情報

タイトル:ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー

原題:Whitney

監督:ケヴィン・マクドナルド

脚本:ケヴィン・マクドナルド

製作:サイモン・チン、ジョナサン・チン、リサ・アースパマー

公開日:2018年(アメリカ)2019年1月4日(日本)

出演者:ホイットニー・ヒューストン、シシー・ヒューストン、パット・ヒューストン、ボビー・ブラウン、ケヴィン・コスナー

『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』概要

本ドキュメンタリーのプロデゥーサーを務めたサイモン・チンがケヴィン・マクドナルドに監督業を打診。マクドナルドは、ホイットニーの家族や友人、そして当時のレコード会社代表等へ取材を進めます。タブーとして編集で削除せず、母親も知らなかったホイットニーの苦悩が明らかになります。マネージャーだった義姉・パット・ヒューストンが製作総指揮に名前を連ねます。

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キャスト

ホイットニー・ヒューストン。兄のゲイリー、マイケル・ヒューストン、そして大ヒットした映画『ボディガード』で共演したケヴィン・コスナーも登場してインタビューに答えています。

『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』あらすじ・ネタバレ

1985年ホイットニー・ヒューストンのデビューアルバム売上は、それまでの記録を塗り替え若きメガスターが誕生した。

1967年に起きたニュージャージー州ニューアークの暴動。幼かったホイットニーは、当時の事を覚えており、「ゲットーで育ったの」とコメントした生前のインタビューが残っている。(この場合ゲットーとはマイノリティーの居住区を指す)

裕福な音楽一家

ホイットニーの兄・マイケル・ヒューストンは、幼い頃の妹はお転婆で、外で遊んで泥だらけになって帰宅したと語る。常に音楽が流れている家庭で、敬虔なキリスト教徒であるヒューストン家の日曜日はゴスペルを一日中聴いていた。

ホイットニーの母・シシー・ヒューストンは、エルビス・プレスリーのバックアップ歌手を務める有名なゴスペル歌手であった。ホイットニーは、13才の時、歌手になりたいと思うようになり、ニューアークのニュー・ホープ教会で歌い始めた。

歌手として成功していたシシーは金銭的に余裕のある生活で、服装もお洒落な物を着ていた。そのため、白人の女の子達からホイットニーはよく苛められたのだった。ホイットニーのニックネームは「ニッピー」。父親・ジョンが名付けた。

ジョンは、黒人として最初にニューアークの市長に当選したケン・ギブソン政権で重要な立場におり、市の建造物に関してはジョンが仕切っていた。裕福になったヒューストン家は、アッパークラスが暮らす地区へ引っ越す。

整った学校教育、広い庭、そしてプール付の家でホイットニーは育つ。彼女の従妹は有名なグラミー賞受賞歌手ディオン・ワーウィックやソール歌手のディ・ディ・ワーウィック等で音楽一家であった。

感謝祭やクリスマスに家族が集合すると、話をするのではなく全員で歌うそんな家族だったとホイットニーはインタビューで話している。歌う事が大好きだった彼女に全てを教えたのは、母・シシー。歌は、お腹、心、頭で歌う事を叩きこむ。

決して生易しい教育方法では無く、よく母娘は喧嘩をしたが、ホイットニーは魂と心で歌う事を体で習得して行く。シシーとジョンは、安全な環境で娘に教育を受けさせるため、キリスト教系の私立高校へ通わせた。

嫉妬心の強かったジョンはシシーの電話を盗聴する程だった。シシーは、教会の牧師と浮気をした事で2人は後に離婚。家族間の絆が強かった事もあり、シシーの浮気を知ったホイットニーは母を怒り、18才になると行き先を告げずに引っ越した。

生まれながらに美しく体格にも恵まれたホイットニーは、ファッションモデルを始める。猫が大好きで遊びも楽しんだホイットニーだが歌手になる夢は常に頭にあった。その後、仲直りした母のコーラスで歌い始めた。

天才歌手ホイットニー・ヒューストン

シシーとジョンはホイットニーを音楽会社と契約させる事を考えるが、まだ若い娘にきちんと準備をさせる事を優先させた。ある日、シシーはニューヨークのクラブで自分のリサイタルを控え、ホイットニーに体調不良を理由に代替えを頼む。

機は熟したと確信した母の嘘だった。16才のホイットニーは、その歌声で観客全員を圧倒。「天井が吹き飛んだ」と例える位の衝撃を受けたシシーのバンドメンバー達は、ホイットニーは歌手になるべきだと動き始めるのだった。

直ぐに噂を聞きつけた大手音楽会社がホイットニーに契約を申し込みにやって来る。しかし、次に日、また別の大手会社がより高額の契約金を提示して来た。そして、大物音楽プロデゥーサー達が花束を手にホイットニーを訪問するようになった。

ホイットニーと契約締結したのは、ロックの殿堂入りをしている実業家でアリスタ・レコードを束ねていたクライヴ・デイビスである。純粋で魂のこもる表現力、そして何よりホイットニーの様な歌声は聞いた事が無いとデイビスは話す。

特にホイットニーの「ザ・グレイテスト・ラブ・オブ・オール」はノックアウト級で、作曲したマイケル・マッサーでさえホイットニー程歌の意味を分かってはいなかっただろうと語り、ホイットニーは真の天才で大きな影響を受けたと明かす。

世界を魅了する歌声

1983年、19才のホイットニーは、初めてテレビで歌を披露。彼女は大スターへの階段を一気に駆け上がった。出す曲は次々にヒットし、7曲連続でビルボードの1位を獲得。世界中を魅了し、大型ライブ会場に集まった人々はホイットニーの歌声に熱狂した。

そんな大成功を収めたホイットニーの日常は、幼い親戚の子供達とテレビを見ながらソファで寝込むなど、舞台を降りれば以前と変わらぬ「ニッピー」に戻った。

時に噂された男性達の中には、エディ・マーフィーが居るが、ホイットニーにぞっこんだった事で有名なのは、ロバート・デニーロだ。

大スターの家族事情

16才の夏にアルバイトで知り合ったロビン・クロフォードとホイットニーは、18才で家を出た後一緒にルームメイトとして住み始めて以来、周りが困惑する程仲が良くなる。ホイットニーは、ロビンの言う事に耳を傾け指示に従った。

公の場には必ず元妻シシーと一緒にホイットニーの側に姿を現していた父・ジョンは、ロビンの存在を疎ましく思い、力づくで追い出す計画を知人に持ちかける。自分の好きなハリウッドの有名人達と交流を持つ等娘の成功で恩恵を享受していた。

ホイットニーの兄弟も例外ではない。2人共ホイットニーのワールドツアーに同行し、給料を貰いパーティーに明け暮れ麻薬に染まって行った。異父兄・ゲイリー・ヒューストンは、取り締まりが厳しい日本でも麻薬を購入したと証言する。

ホイットニーが16才を迎えた誕生日にマリファナをプレゼントしたのは、兄達であった。音楽業界での成功が続いて行く中、観衆の中にはホイットニーが黒人のゴスペル調な曲では無く白人の歌うポップばかり歌うと揶揄する者達が居た。

一生を過ごすと誓った相手

この頃出会ったボビー・ブラウンは、ホイットニーが酷くこの中傷に傷ついていたと語る。荒削りでウィットに富んだボビーはホイットニーを笑わせた。2人は情熱的な恋に落ち結婚。程無くして娘・ボビー・クリスティーナ(クリシー)が誕生した。

母シシーを反面教師に、ホイットニーはツアーへ幼いクリシーを連れて行く。楽屋で忙しく準備するホイットニーが娘をあやし、神に感謝する姿を撮ったホームビデオが遺されている。しかし、普通の子供と違う環境で育つ事をクリシーは余儀なくされた。

伝説となる国歌斉唱

1991年、アメリカが中東へ侵攻し湾岸戦争が勃発。国中が愛国心を唱えたこの年、スーパーボールでホイットニーは国歌斉唱を歌い、観ていた者誰もが感動に奮えた。現在も史上最高と言われ伝説となっている。

曲のアレンジをスーパーボールの一週間前に聴いたホイットニー。目をつぶり一度だけじっと聴いた後、ホイットニーは「分かったわ」と答えた。会場で歌った国歌斉唱は、リハーサル無しでホイットニーが歌った最初のテイクである。

ベイビーフェイスの愛称で知られるミュージシャンのケネス・ブライアン・エドモンズは、ユダヤ人でもキリストを神だと受け入れる位、ホイットニーの国歌斉唱は、聴く者にアメリカ人である事を誇りに思わせたと振り返った。

影響は大きく、アメリカと言えばホイットニーの国歌斉唱だと言う人が様々な国で続出。ホイットニーの歌を聴いて涙を流したと話す多くの人達にとって、人種の壁は存在しなかったのである。

差別を越えて

1992年、ホイットニーは初めて映画出演する。サスペンス映画『ボディガード』だ。製作と主役を務めたケヴィン・コスナーは、黒人社会で大きな話題を集めた事に触れ、自分にとってホイットニーは歌が上手な美しく愛らしい女性で、たまたま黒人だったと話す。

エンディングは、コスナーとホイットニーのキスシーンで、これは当時ハリウッドでは先ず見ない白人と黒人がキスをする場面であった。アパルトヘイトに苦しんだ南アフリカで劇場公開された時、このシーンに観客は歓声を挙げた。

1994年、ポストアパルトヘイトの時代に入った南アフリカ。ヨハネスバーグのエリス・パーク・スタジアムで、ホイットニーはメジャー歌手として初めてのライブを行う。映画のサウンドトラックは、世界中で大ヒットを記録した。

イギリスでは、主題歌『アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー』があちこちで流れ苛立っていた住民が、この曲を隣人が掛けた事で発砲する騒ぎまで起きた。サダム・フセインは、自分が最後に立候補した選挙宣伝に同曲をアラビア語に吹き替えて使用している。

世界的ヒットが与えた影響

既にスーパースターだったホイットニー・ヒューストンだが、『ボディガード』の記録的大ヒットは夫・ボビー・ブラウンとの結婚に影を落とす。ヒット曲はあったものの、妻の成功は全くレベルの違う物であった。

悪気は無くても、人はついボビーを「ミスター・ヒューストン」と呼称し、プライドを深く傷つけた。そして、ボビーの心打ちを察したホイットニーは、、敢えて自分の立場を低く置くようになる。

創設したホイットニー出資のプロダクション会社さえ、ヒューストンプロダクションからブラウンハウスプロダクションへと名前を変更し、周囲が戸惑うほどホイットニーはボビーに気を使った。その頃から、ボビーは公然と浮気をするようになる。

タブロイド紙がこぞって書きたてる中、ボビーは度々警察沙汰を起こし、スキャンダルはエスカレートして行く。目立ちたがり屋の一般市民が有名になろうと便乗し、ホイットニーの自宅に赤ん坊を抱いて訪れ、ボビーの子供だと言った。

セクシャルハラスメントで逮捕され警察車両の後部座席に乗ったボビーは、そこでわざと用を足す等、歯止めが利かない状態だった。その事を知ったヨーロッパにツアー中のホイットニーは、ボビーにツアーへ同行するよう懇願した。

ホイットニーは、シシーの様に離婚はしたくないと心に決め、周囲が何と言おうと結婚を軌道に戻そうと努力を続けた。しかし、ホイットニーも麻薬を使うようになり、そこから全てが収拾のつかない状況へと陥って行った。

カリフォルニアへ仕事に言ったホイットニーは、同行していたボビーと自家用飛行機の中で麻薬を吸ってハイになり、土壇場で仕事をキャンセル。しかし、ジョンとシシーは介入したがらなかった。

ホイットニーを怒らせば、娘の名声で手に入れた自分達の特権が無くなってしまう事を恐れていた。常にホイットニーの側で重要な仕事上の決定を下していたロビンとボビーの確執は深刻なものになっていた。

ロビンは、ホイットニーにとってボビーは悪影響でしかないと思った。ある日、ロビンは、ホイットニーに自分かボビーを選ぶように迫る。ホイットニーは、辞表を受理すると伝えた、それ以降、ホイットニーとロビンは何年も音信不通になった。

巨万の富に目が眩んだ父

そして、ロビンが去った後、父のジョンが全てを掌握した。ホイットニーは、父を愛し完全な信頼を置いていた。だが、この後多くの人間がホイットニーをお金目当てに食い物にしていく。

周囲は、ホイットニーがATMの様に扱われていたと語る。ジョンが連れて来た経理担当は、フェラーリや豪華なヨットを所有。また、父は娘が稼いだお金から莫大な金額を横領していた。ホイットニーは、ジョンを解雇する。

だがジョンは、一緒にホイットニーからお金を騙し取った男と組み、娘を相手取って訴訟を起こし、100億ドルの損害賠償金を要求した。1999年、ホイットニーは、歌手として史上最高額・100億ドルでアリスタ・レコードと再契約を交わしたばかり。

ジョンは、自分がこの100億ドルをコミッションとして受け取る権利があると主張したのだった。父親っ子として育ったホイットニーは、この件で酷く苦しめられる。

2003年、ジョンは他界。ホイットニーは、家族だけの密葬をとり行うが、メディアを避け翌日の葬儀には参列しなかった。ホイットニーを個人的に知る人は皆彼女の純粋さと温かさを愛し、彼女が精神的に苦しんでいたと証言。

歯車が狂い始めたキャリア

アリスタ・レコードと多額の契約金を結んだホイットニーだったが、家族総出で天候に恵まれたマイアミへ行くものの、3ヶ月間たった2曲をレコーディングしただけだった。10日から2週間程ホテルに1人籠ったホイットニー。

やっと扉が開くと、体重が激減していたホイットニーをスタッフが説得してスープを飲ませた。この状態が何年も続き、アリスタ・レコードは5百万ドル以上の経費を注ぎ込んだ。そして、ホイットニーは声が出なくなって行く。

2001年に、親しかったマイケル・ジャクソンのためにパフォーマンスをしたホイットニーの痩せた体は、人々に衝撃を与えた。アリスタ・レコードは、反響の大きさに、ホイットニーにインタビューを受けさせる。

相手は、報道番組の人気キャスターであるダイアン・ソイヤーだ。そこでホイットニーは麻薬使用を認めたが、その開き直った態度や表現が反感を買ってしまう。サタデー・ナイト・ライブからザ・シンプソンズまでホイットニーの麻薬使用を冗談にし始める。

母に言えなかった秘密

同じようにタブロイド紙から叩かれていたマイケル・ジャクソンとホイットニーは、一緒に時間を過ごした。ホイットニーが抱えていた問題として、義兄のゲイリーは自分も経験したと前置きし、幼児時代に受けた性的虐待を挙げる。

有名歌手で忙しかった母は、親戚家族に幼い子供3人を預けて留守にした間、ゲイリーは血縁関係者から性的虐待を受けたと証言。

ゲイリーの妻でホイットニーのマネージャーを務めたパット・ヒューストンは自分の娘を置いて出張へ行く事をホイットニーに反対されたと語る。ある日、ホイットニーは、その理由をパットに話す。

年の離れた従姉妹で歌手のディ・ディ・ワーラックに幼い頃ホイットニーは性的虐待を受けた事を目に涙をためて打ち明けた。母親に決して話さなかった理由は、怒ったシシーが暴力に訴えるとホイットニーは心配したからだった。

まだ物事の分別もつかない少女だったホイットニーは、虐待者が女であった事に混乱し心のどこかで自分が悪かったと責め、虐待を受けた事を恥だと捉えていたかもしれないと知人は振り返った。莫大な富も名声も彼女を幸せにする事はなかった。

この頃ボビーは悪魔の絵を床や壁に描くようになり、周囲はクリシーを心配した。後にクリシーは自殺未遂を図りホイットニーが病院へ担ぎ込む。2006年、遂にホイットニーは、14年間の結婚にピリオドを打ちボビーとの離婚を決断。

離婚が成立した後、自分を失敗した人間だと卑下したホイットニーを慰めたのは、クリシーであった。そして、時間の経過と共に娘の為に立ち上がろうと決意したホイットニーは、カリフォルニア州の更生施設へ入所。

しかし、プログラムを途中で断念せざるを得なかった。唸るほど有った財産は底をついていたのだ。クライヴ・デイビスは懇願したが、引退前の最後のツアーとしてホイットニーは世界を回った。しかし、万全の体調でないまま敢行したライブは大失敗に終わる。

声は出ず、情熱が完全に消えた歌だった。途中で席を立ってしまう観客が続出した会場もあった。この事もまた面白おかしくメディアは伝えるが、ホイットニーのために祈る市民2000人があるニューヨークの教会に集合した。

歌のキャリアは事実上終わっており、仕事が必要だったホイットニーは、映画を希望。2012年に公開された『スパークル』の出演条件は、毎週ドラッグテストをパスする事だ。

麻薬を断ったホイットニーは、笑顔を取り戻したと周囲が話す。出演者を連れて食事へ出かけ、依然と同じ迫力のある美声でゴスペルを歌う声がホテルの部屋から聞こえてきた。ホイットニーは、再び人生に喜びを見出していた。

2012年2月11日、ロサンゼルスのビバリーヒルトンホテル。外出から戻ったアシスタントの女性が浴槽にうつ伏せで浮いたホイットニー・ヒューストンを発見。

‐2015年、1人娘のボビー・クリスティーナ・ボビーは浴槽で意識不明の所を発見されるが6ヵ月後病院で息を引き取った‐

‐ホイットニー・ヒューストンが持つ連続NO1ヒット記録は現在も不動であり、『アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー』は、女性歌手がリリースしたシングルで史上最も売れた曲である‐

『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』を観た感想

監督ケヴィン・マクドナルドは、ホイットニー・ヒューストンはタブロイド紙に酷い扱いをされたスターとしか捉えていなかったものの、取材を進めて行くうちに、会った人皆から愛されていた事が分かったと明かしています。

しかし、本作におけるマクドナルドの描写は、ホイットニーは問題山積で麻薬に溺れた大スター。劇中、元夫のボビー・ブラウンにホイットニーの麻薬使用について再三話すように迫りますが、ブラウンはこのドキュメンタリーに関係ないとコメントを拒否。

実際、関係無いのかもしれません。人物ドキュメンタリーの性質上ホイットニーのバイオグラフィーであるべきで、スキャンダルやどう亡くなったかに重きを置くのではなく、どう生きて、歌手としてどのように人々に影響を与えたかを綴る必要があります。

功績はとかく数字で表現されますが、アーティストが生み出す芸術を知らずに何を成し遂げたかを理解する事は難しいのかもしれません。

ホイットニー・ヒューストンの歌は、正に芸術と等しく、国宝と呼ばれました。劇中に登場したケヴィン・コスナーは、ホイットニーが歌う時はいつも真っ直ぐに立ち、ダンスなんてする必要が無かった、とエレン・デジェネレスの番組で話しています。

奇抜な衣装やパフォーマンス、露出度の高い服を着て誘う振り等一切しなかったのがホイットニー・ヒューストンでした。コスナーの言う通り、そんな演出をしなくても、ホイットニーは、歌だけで勝負できた歌手だったからです。

以下を本作の補足とします。実は、母親のシシーは、裁判所命令を持参してホイットニーを訪れ、更生施設へ行き麻薬と縁を切ることを迫りました。冷静な自分を取り戻して決断する様に説得されたホイットニーは実行に移します。

後に、クリシーを先に信頼できる友人に預け、夫に砂糖を買うと言って出掛けたホイットニーはそれ以降2度と夫の所へは戻らず、神の前で交わした結婚の誓いを守りたかった思いを断ち切り離婚を申し立てました。

この経緯を説明したのは、他ならぬホイットニー・ヒューストン自身。2009年にオプラ・ウィンフリーとの長時間インタビューで詳細に明かしており、元夫ボビー・ブラウンをどれだけ愛していたか、そして受けた精神的虐待の内容も語っています。

また、本作で紹介されなかった事実として、同年45才になったホイットニーが見事な復活を果たしている事です。ホイットニーを歌手として絶対の信頼を置いていたクライヴ・デイビスは、彼女のアルバム製作を快諾。

久しぶりにリリースしたアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』は7ヶ国でプラチナディスクを獲得。ホイットニーはワールドツアーを行っており、彼女は歌声を取り戻していたのです。

ホイットニー・ヒューストンのライブは、魂が揺さぶられ息苦しくなる様な感覚を覚え涙が溢れて止まらない時間。後に続いたのは、武道館が揺れたと錯覚する地鳴りにも似た老若男女全員総立ちの拍手喝采でした。

歌姫と呼ばれるパフォーマーはこれまでにも数多く居ますが、ホイットニー・ヒューストンを超える歌手は存在しないと言われています。

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