エマの瞳は「ベニスで恋して」などで知られるイタリアの名匠シルビオ・ソルディーニ監督が、目が不自由でも自立して生きる女性とプレイボーイに振り回される二人の恋の行方を描いたラブストーリー。「イタリア映画祭2018」で「Emma彼女の見た風景」のタイトルで上映された作品です。
「恋は盲目」とよく言いますが、40代の男女4人が絡む恋の物語は、目の見えないエマとの出会いがきっかけで、いろんな世界が見え隠れする大人のための物語です。
今回はそんな「エマの瞳」のネタバレと動画の無料視聴方法をご紹介します。
Contents
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『エマの瞳』作品情報
タイトル:エマの瞳
原題:Il colore nascosto delle cose
監督:シルビオ・ソルディーニ
脚本:シルビオ・ソルディーニ
製作: イタリア・スイス合作/マンシーズエンターテインメント
公開日:2017年(イタリア)、2019年3月23日(日本)
出演者:アドリアーノ・ジャンニーニ(テオ)、バレリア・ゴリノ(エマ)、アンナ・フェルツェッティー(グレタ)、バレンティーナ・カーネッティ(ステファニア)、ローラ・アドリアーニ(ナディア)
『エマの瞳』概要
イタリア人男性のイメージは、女性にやさしく、とにかく燃えるような情熱的なアプローチをする・・・そんな男性像を抱くかもしれません。
この映画に出てくるテオは、女性にはとにかく優しく接しています。でも心が落ち着かないというか、意思がハッキリしないというか、とにかく恋愛感としては、誰と一緒にいたいのか答えを出せない性格の持ち主です。
テオを取り巻く女性3人への想いは、最終的に誰に情熱的なアプローチをするのか、そこが見どころかもしれません!
キャスト
目の不自由なエマを演じたバレリア・ゴリノさんは、1966年生まれのイタリア女優。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズW主演で1989年公開された「レインマン」や、「エスケープ・フロム・L.A.」、2017年公開の「はじまりの街」など数々の映画に出演。2015年と1986年のベネチア国際映画祭で、最優秀女優賞を2度受賞されています。
プレイボーイなテオ役のアドリアーノ・ジャンニーニは、1971年5月生まれ、マドンナと共演して話題になった2003年公開「スウェプト・アウェイ」に出演歴が在りますが、イタリア映画でのご出演が主なため、日本ではあまり知る機会がありません。
『エマの瞳』あらすじとネタバレ
イタリアのローマ。
暗闇の中から複数人の人達の声だけが聞こえる。時折、杖のようなカツン、カツン、とした物音が漏れ聞こえるシーンから物語は静かに始まる・・・。
「暗闇で会話するって、難しい。」
やがてカーテン越しに、白杖を持った数人の中年男性が女性と一緒に明るい世界に、まぶしそうな表情で出て来た。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)」—視覚以外の感覚を使って体験する施設で、目の見えない不自由な体験を暗闇の中で過ごすという体験が出来る、視覚障害者の施設で行われているワークショップに、テオは体験するために仲間たちと一緒に訪れていた。
そんなある晩のこと、彼女であるステファニアのアパートを訪ね、一夜を共に過ごす男性テオがいた。
聞き覚えのある女性の声
ある朝。広告代理店に出勤してきた40代半ばの中年男性テオ。ここで広告マンとしてデザインや営業をしている相棒やチームの仲間と仕事やプライベートの話をして忙しく働いている、働き盛りのテオ。
売れっ子のグラフィックデザイナーとして、会社では中心人物の一人として活躍している。
とある晩、もう一人の彼女グレタの家でパーティーを共にするテオ。
テオの携帯に実家の家族から、父危篤の連絡があったが電話を切ってしまう。その晩はパーティーの流れでグレタと一夜を共にする。朝になりベッドからそーっと抜け出して、着替えて外出の支度をしたテオは、自分の住むアパートへ帰宅した。
家に入るなり相棒のロボット掃除機のスイッチを入れて、ソファでくつろいでいた。
仕事先の広告代理店に出勤してきたテオは、相変わらず忙しく過ごして時が流れる。そんなある日、グレタの為にブラウスを買おうとブティックを訪れて、品定めをしていたテオは、どこか聞きなれた女性の声に耳を傾け始めて、店内を見渡した。
すると以前DIDで知り合った、施設でボランティアをする目の不自由な女性エマの声だった。
実はテオ、DIDでボランティアスタッフとして働いていて、暗闇みの中で聞いたエマの声に一目ぼれしていたのです。
「先日のDID体験で、ご一緒させていただき、案内していただいた、テオ・モスコーニという者です。」と声を掛けた。
介助者と一緒にショッピングをしていたエマに話しかけたテオは、エマを口説いて、なんとか勤務先の場所を聞き出すことに成功します。エマが、整体師として病院に勤務をしていることを知ったテオは、整体の施術を頼み、勤務先の病院に行くことを約束して、ブティックで別れます。
テオとエマ
エマの勤めている病院へ、整体の施術を受けに来たテオ。
「なんでもこなせる魅力的で素敵な整体師に巡り会えてうれしいよ!」
テオは優しくエマに話しかけ、エマもまた好意的に、そして時には理路整然と話しながら施術を進めていきます。そうしてテオは何度か、エマの所へ通うようになる。
やがてエマを食事に誘い出すことに成功したテオは、優しくエスコートをしてエマとのデートを楽しむようになり、エマの介助を手伝っては、レストランへ一緒に行き、食事を共にするようになる。テオは、優しくエマに接して、お互いに楽しい時を過ごしていく。
エマをきちんと家まで送ったテオは、そこで、歓待されてエマとルームシェアしている同居人の女性パティとも、意気投合して楽しく時を過ごすようになる。そして時折、エマのもとを訪ねては、一緒に食事を作ったり気兼ねなく楽しく過ごしていた。
テオにはグレタという結婚を前提にお付き合いしている女性がいる身でありながら、愛人のステファニアとも並行にお付き合いしている中、3人目の女性としてエマといる時間も増えて行くようになる。
エマと少女ナディア
エマには気に掛けている年頃の少女ナディアがいる。エマは目の見えないティーンエイジャーのナディアに、生活指導やアドバイスをしている関係でした。お年頃の少女とはいえ、目が見えない自分のことを素直に受け入れる事が出来ず、なにかと反抗的な態度を取っているナディアが不憫で仕方がない。
突然視力を失ってしまったナディアは、動揺からか勉強をしなくなり、外出を拒否し、白い杖を使用することを恥じてばかりいて、ずっと引きこもるようになっていた。彼女は母親の介助なしでは、自分一人での外出は一切しなくなったのである。
ナディアは母親と共に、エマの家に来ては、二人で時間を過ごします。エマはナディアには、自分の事は自分で出来るように、細かくアドバイスをして、目が見えないことを受け入れるように優しく諭すのだった。
「見える事は難しくなる。見えたままがすべてだから。」
エマがふと、テオに漏らしたこの言葉には、心で見る事の大切さも重要だと訴えるのですが、健常者のテオには、その場では理解しようがない言葉となっていた。
エマに夢中なテオ
園芸店まで植物を買いに、車を運転するテオへ道案内をするエマ。
「信号を超えたら、そこの角を左に曲がって!」と得意げに道のりを案内し上機嫌でデートをしている2人。
「外の空気は美味しいわ。太陽の光がまぶしくて綺麗」など、まるで目が見えているかのように普通に振る舞うエマにテオは店内を誘導していく。
テオと園芸店を歩くエマの様子は、楽しそうで、あらゆる植物に手を振れ、顔を近づけてはその植物の香りを嗅ぎ、どんなお花があるのか想像するように、楽しんでいた。テオはそばで花の色や特徴を事細やかに表現していく。
広大な園芸店でお気に入りの植物を買った後、広場で一休みするエマは、17歳で視力を失ったことを淡々としゃべり始めた。つられて話し込むテオはいつの間にか、縁遠くなってしまった家族の話を始める。
大学生の頃、母が再婚して義父が出来たが、その義父とは上手く付き合えなかったこと、反抗し続けたこと、そしてかれこれ6年以上、その父親とは会っていなかったことなど。そして、つい1ヵ月前に父親が亡くなってしまったことを打ち明けた。
さらに、葬儀にも顔を出さずに今日までいる事も。
このところ、テオはほとんどの時間をエマと過ごしてばかりで、本命の彼女とはそっけない電話やメールだけのやり取りだけ。そんなそっけない態度を取るテオはグレタから、最近会えないことのいらだちから、グチを聞かされ、「早く一緒になりたいのに」などと正式な結婚をも急かされている。
テオの隣りにはいつもエマがいて、ショッピングや映画鑑賞などのデートを重ねていた。映画館では普通に映画鑑賞しますが、その隣で、テオは時々場面詳細や展開を解説して、エマの耳にナレーションのように囁く。
いつしか、テオの住むアパートにルームメイト・パティと来たエマですが、夕食を共にした後、2人切りでその晩を過ごしました。
彼女と鉢合わせ!
そして、近くのスーパーマーケットへショッピングに2人は出掛けますが、楽しく会話をしながらショッピングをしていると、目の前にグレタが現れ鉢合わせ!
うろたえたテオは
「彼女は目が不自由で、ボランティアで付添いをしているだけだよ」
とテオはグレタに言い聞かせましたが、その場を離れて怒ってしまったグレタをテオは必死に追いかけて行く。
「単なるボランティアの付き合いだ」
と聞いてしまったエマは、かなりのショックを受けていた。
茫然とするエマ。テオを信じ切っていたエマは、我を失いスーパーの中を出口を探すかのようにウロウロしていた。
慌てて戻ってきたテオですが、そこにはショッピングカートだけが置き去りになり、エマを見失う。
スーパーマーケットの駐車場で、タクシーに乗り込むエマを見つけたテオは必至で
「勘違いだ、気分を悪くさせてすまなかった」
と謝りますが、エマは許すはずがありません。運転手からも引き止められて去るように促される中、形振り構わずテオは、抵抗するエマを座席に押し倒してキスで黙らせてしまう。
再びテオの部屋に戻ってきたエマは、プレーボーイなテオの口車に上手く乗せられて、ベッドで2人は愛を確かめ合っていた。
翌朝家に帰って来たエマは、ルームメイトのパティにテオの態度を説明したところ、納得のいく説明を聞くべきだと説得されて、真実を確認するために2人でテオのアパートへ。
しかしテオのもとには、すでにグレタが来ており、当然のことながらインターホン越しに追い返されてしまった。
振られたショックで気持ちのやり場が無いエマはタクシーを降りて夕暮れの街をさまよい歩く。誰もいない自転車にぶつかった勢いで八つ当たりしたりして、やり場のない気持ちをぶつけていた。
その気持ちは、ナディアにも悟られるほど、激しいものだった。ナディアといる間にも、何度も何度もテオからラブコールの電話が鳴りますが、エマは電話を無視し続けていた。
テオの家族
テオは、家族や親戚とも衝突して、何年も田舎にも帰らず親交を絶っている。長い間、父親との関係がうまくいかないことが原因で、家を離れ、愛することや愛されること、愛され方を知らずにいつも逃げてばかりいた。
そして遂にテオは、母親や妹から連絡をもらっていたものの、結局、父親の葬儀に出席することすら拒絶反応を示して、日常に心を委ねるように、いつも通りの生活を送っていたのです。
けれど、いつしかエマからは、親から逃げている後ろめたさを感じ取られていました。エマはテオの心を見透かしている。テオもようやく気づかされ、エマからも諭されたこともあって、田舎へ帰る決心をする。
テオは重い腰を上げて、ようやく妹の家を訪ね、母親のいる父のお墓へ。そしてベンチで2人。テオは小さな子供のように母親の身体に自分を委ねた。お互い無言でも心は通じ合っているかのように、テオは今までの態度を詫びるように顔を埋めていた。
「あなたと一緒に暮らしたいわ」
「でもあなたにはグレタがいるでしょ、グレタを愛しているのでしょう」
母親の心と言葉が、テオの胸には重たくのしかかる。
その後テオはエマへ電話するものの「あなたとは会いたくない」と断られてしまった。
ナディアの気持ちとエマの複雑な胸中
エマと会う事によって、エマの教えたいことを知るに従い、やがてナディア本来の自信を取り戻し、気も心もリフレッシュ出来たナディア。気持ちを切り替える事で、自信を持てたナディアは、ある大きな決意を抱いて、嫌っていた白杖を持ち、一人で歩き始めた。
ナディアは彼女自身の足で、それもたった一人で、テオの働いている会社へ出かけたのである。
テオに合ったナディアは、エマともう一度話し合ってあげてほしいと、懇願していた。
エマを探し、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)のオリエンテーションが開かれている会場へ向かったテオ。
「すまなかった。君とは決して遊びのつもりはこれっぽちもないし、本気だった。」
「またエマと一緒にいたいんだ。」とも説得しますが、聞き入れないエマ。
仕事だと言って、暗闇の世界へ入ってしまうエマを追いかけて、テオも暗闇へと消えて行った。
『エマの瞳』を観た感想
「私たちには見えているのだろうか? 本当のことが」
講師HP冒頭には、こんな意味深なコピーが綴られています。この映画「エマの瞳」は、シルヴィオ・ソルディーニ監督自身の脚本で出来た映画で、原題「Il colore nascosto delle cose」には「隠された色」と言う意味があります。
物事にある隠された色とは、見える人の心や物体の色に対して、見えない人からは、心の中を読み取る力があることを意味しているようです。それをエマとテオの立ち居振る舞いで物語っているのだと感じられます。相反する男と女、見える人と見えない人などに共通するのは、内面そのものなのかもしれません。。
見える目で見る、見た目そのものの行為と、心で感じること、心の目で見つめる行為との違いや「心の内面を見る」ことを表現されたかったのだろうと思います。
家族や兄弟姉妹の愛情を失ってしまった(拒否した)一人ぼっちの青年は、愛することを恐れてしまった、大人になる事もちょっと遠ざけてしまったいわゆるピーターパンシンドロームの一面もあったかに見受けられました。男版の八方美人といった人間性でしょうか?
最後は母親に諭される形で、自分の心はどこにあるのか、ハッと気づかされたのかもしれませんね。男性はキホン、マザコンであり、ピーターパンなのかもしれません。
40才代後半の男性と3人の女性との恋の物語です。
ちなみに、バレリア・ゴリノさんは、この目の見えないエマを演じる前にも、シルヴィオ・ソルディーニ監督のドキュメンタリーで、目の見えない白杖をつく役柄を演じた経験があるそうです。だからこそ、この役を自然に演じきれたのかもしれませんね。
結末は見てからのお楽しみにしておきましょう。
この映画を見て思ったことは、イタリアは障がい者にも寛容な心、広い心、何事もすべてを受ける、そんな大きな気持ちを皆が持っているのだなと感じたことです。
自由に歩き回る視覚障がい者に対しても、タクシーの運転手さんは、仕事を超えてボランティア以上の心で、ドアまでエスコートすることを苦に感じ無い様に移りました。誰もが束縛されない、何かによって動きを取れない世の中にしてしまってはいけないなと思いました。
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